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王陽明、「泛海」で心情を語る。 [煎茶文化塾「易社」]

一昨夜の稽古で、着くやいなや目にとまったお軸は、雄大さの中に男の激しい生きざまを文字に表現したかのようち見えた。

来月の19日に開催される「四天王寺煎茶会」に向けての稽古に熱が入り、お軸についての解説がないのかと思っていたが、お点前稽古が一段落つくと、お軸の解説に移った。

いつもの通り、この詩の文字数は?から始まる。そして読める字があるか?という問いになかなか明確に分かる文字は少ない。
わかった文字から連想し、わからない文字を想像していく連想ゲームをしているかのように進んでゆく。

ひと通り読み終わり、中国の明大の時代に生きた王陽明の「泛海(ぼうかい/海に泛(う)かぶ)」という詩であることわかった。

王陽明が、書いた当時の自身の心情を表現した詩である。この詩は、王陽明の想像の世界と現実の状況が混在した不思議な詩だと宗匠はいう。

その内容は以下のとおり。

「泛海」
險夷原不滞胸中
何異浮雲過太空
夜静海濤三萬里
月明飛錫下天風

「海に泛(うか)ぶ」
險夷(けんい) 原(もと) 胸中に滞(とどま)らず
何ぞ異ならん 浮雲の太空(たいくう)を過(す)ぐるに
夜は静かなり 海濤(かいとう)三万里
月明(げつめい)に錫(しゃく)を飛ばして天風を下る

逆境であれ順境であれ、それらに心を煩わせることなどない。
それらは、あたかも浮雲が空を通り過ぎるようなものなのだから。
静かな夜の大海原を、月明かりに乗じて錫杖を手にした道士が天風を御しながら飛来する、まるでそんな広大無碍な心境である。
目的地に飛んでいった僧侶のように、わたしも目的地を目指したい。

と言った内容である。

王陽明は官僚であり、そして陸軍大将として戦いを指揮してきた。その道中、苦難も経験し、後に「陽明学」という思想を生んだ人物である。その王陽明はこよなく茶に傾倒したと言われている。
日本では幕末、明治時代から広まっていった。

宗匠曰く、煎茶は、隠棲した文人の趣向にあるよりも、激動騒乱の中で親しまれたのだ、という。

この書は、陽明学者で思想家の「安岡正篤」氏が、一茶庵でしたためた直筆書。
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しぜんと一体に。家庭画報記事 [煎茶文化塾「易社」]

煎茶の師匠である、一茶庵宗家の佃一輝宗匠の東京のお弟子さんの一人に、LlXl Lグループ会長の潮田洋一郎氏がおられる。


潮田氏の中禅寺湖の湖畔にある別荘で、家庭画報の企画で湖上の煎茶会なる記事が11月号に、12頁にわたり掲載されていた。


スペシャルゲストとして佃宗匠も参列されていた。記事をみると、煎茶会でも目に触れことのないお軸や道具、文房具などが設えてある。客間からみる中禅寺湖や山々など含め見えるものすべてがしぜん一部のように映る。


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五重塔は仏教思想のすべて。 [文化想造塾【逸品殿堂】]

最近、寺院を訪れることが増えた。もともと関心がある方なんだが、それが顕著になっているような気がする。
その理由の一つが、仁王門で睨みをきかす金剛力士像の勇姿に観ること、それに加え多重塔の不思議な世界観に関心をもったことが大きい。

多重塔に関してはとくに関心が深くなっている。寺院にある多重塔のほとんどが、五重塔や三重塔である。とくに奈良の法隆寺五重塔は日本最古の塔と言われ有名である。そして京都 東寺の五重塔は法隆寺同様に国宝の塔として興味深い。

とくに五重塔は、多宝塔とはちがう宗教観のある建物と考えられているようだ。石造仏塔と同じように、下から「地」(基礎)、「水」(塔身)、「火」(笠)、「風」(請花)、「空」(宝珠)からなっている。
それぞれ五つの世界、つまり五大思想を示し、仏教的な宇宙観を表しているといわれている。

塔の全体が、仏教思想を表現している建物になるのだろう。あの器に思想の全てが網羅されているといっても過言ではないだろう。
形状や内部構造、そして納められている全てのもの一つ一つが思想的役割を果たしていると言えるのだろう。

たとえば、京都 東寺の五重塔は、各層を貫いている心柱(しんばしら)は、大日如来として、その周りを四尊の如来、八尊の菩薩が囲んでいる。さらに、四方の柱に金剛界曼荼羅が描かれている。
塔として、心柱はすべてにおいて中心的役割を果たす、塔の心臓脊髄部となるのである。

心柱は、地下に埋めこみ上に伸びているもの。地上の基礎部にただ置いてあるのもあり、また上層部からつり下げ地上には接してない心柱も多い。その違いには諸説あるようだ。

塔の中身を観る機会はほとんどないが、今月の28日から東寺の五重塔は初層部のみ開塔されるようである。

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美しい。 [日本の美]

着物の見立て、着物の色合い、帯との合わせといいサイコ〜。
後ろ姿、立ち姿も美しい。
手の位置、扇子の持ち位置もみごと。
バランスのとれた、日本の美しさが表現されているように思う。

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撮影者不明

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山麓に佇む密教寺院。 [文化想造塾<社寺>]

神戸 北区の岩嶺山の山麓に、真言密教の修業道場だった石峰寺(しゃくぶじ)がある。修業道場にふさわしい雰囲気がある。

調べてみると、石峰寺は、651年にインドの僧、法道仙人によって開基された。山麓丘陵地に伽藍を建立し、一段下がって寺院や坊舎があった。
当時は、東西ニ里、南北一里に70余の建物があり一山寺院が形成されていたようだ。

石峰寺には、本堂には大日如来が祀られている。中堂の薬師堂は、聖武天皇の勅願で行基が開眼したとされる薬師仏が祀られ、その周りに十二神将、日光・月光菩薩を祭祀されている。残念ながら、本堂、薬師堂の前に立っても中までうかがい知れない。

薬師堂の裏には、三重塔がある。薬師堂と同様に室町時代に建立され、この時代の三重塔の中ではもっとも大きいものだといわれている。
薬師堂と三重塔は、国の重要文化財にしてされている。
仁王像が睨みをきかず仁王門から本堂までに往時を思い起こさせる塔中が現在でも並んでいる。

足を踏み入れると、高野山独特の空気と同じようなものを感じる。こんな人里離れた山麓に佇む寺院の静けさは感慨深い感動を覚える。鳥肌がたつ。

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江戸時代に盛況だった「農村歌舞伎舞台」。 [ライブインテリジェンス<歌舞伎>文化塾]

この建物がなんであるか、写真だけではわかりにくい。かなり年代物の建物であることは想像がつく。
これらは「農村歌舞伎舞台」と称されるものである。しかしながら、農村歌舞伎舞台っていわれてもピンとこない。

江戸時代末期から明治かけて大盛況を呈した村芝居の舞台である。当時、全国に2千棟ほどあったといわれている。現在でも1千棟が保存され、その中でも兵庫県には170棟がある。とくに北神戸地域のものは文化財として保存されている。

江戸時代末、1841年から始まった天保の改革の風俗粛清の影響で閉鎖された大阪の芝居小屋の浄瑠璃太夫や人形遣いが大阪を逃れ、この地に流れ込んだ。それを機会に農村舞台での歌舞伎、浄瑠璃、文楽や芝居などが盛んに行われるようになったようだ。

兵庫県にある中でも写真にあるこの二つは非常に特徴があり、数年ごとにいまでも農村歌舞伎が行われている。

北僧尾農村歌舞伎舞台は、江戸末期から明治にかけ非常に人気のあった舞台の一つ。全国に現存する舞台の中でももっとも古いといわれている。
一般的には、舞台は神社境内に建てられことがほとんどで、祭事の奉納芸能として盛んだった。
写真にあるように、舞台と長床(宮座行事を行う建物)を併用した形で造られている。
正面右端上部に突出部が見える。「チョボ床」といって義太夫や三味線の座である。
正面下部にある横板は「バッタリ」といわれ平素は雨戸であるが、舞台上演の際は前に倒し舞台を広くするようにしている。

もう一つは、下谷上農村歌舞伎舞台。この舞台は数多くの特徴がある。花道、太夫座、回り舞台、二重台、大せり、ぶどう棚など多種の舞台機構がある。そしてもっとも特徴があったのが、全国唯一の、花道の一部が回転して反り橋が出るという特殊機構が備わっている。当時の農村舞台としては大変珍しかったようだ。
全国屈指の歌舞伎舞台として、国指定重要有形民俗文化財に指定されている。

聞くところによると、全国に点在する歌舞伎舞台で上演する出し物は、地域によって特有の風俗を表現したものが多かったようである。代表的なものが秋田の「なまはげ祭り」も農村歌舞伎の名残りのようである。


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250年前の古民家、いまも息づく。 [歴史遺産]

神戸 北区には江戸時代から明治に建造された古民家や歌舞伎舞台が随所にある。

古民家は、いまも生活の場としての家も多い。また、文化財として管理されている建物もある。


その一つが、この「内田家住宅」。県の重要有形文化財として神戸市が管理している。

筑後250年というから江戸時代中期に建てられたもの。当時の民家の間取り構造をそのまま残した貴重な文化財として現存している。


間取りは整形四間取りでいたってシンプルである。南側に上の間、下の間があり、北側に納戸と台所がある。

台所側には古民家特有の広い土間があり、片隅には一段低くなっている馬舎がある。昔は人も馬も同じ建物の中で暮らしていた。


土間には、4連のおくどさん(カマド)がある。いまも火を使い飯炊きなどができるようになっている。


ただ見学するだけの古民家ではなく、一日、炊事や生活(イベント)体験などもできるようだ。


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実りの秋。 [雑感]

黄金色。
稲穂が垂れている。

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重文 内田邸で名月観月会。 [趣味]

この好天では、今夜の名月がくっきりと眺められるだろう。


用事があって神戸市北区界隈をウロウロと走り回っていると、ある方からの情報で鈴蘭台西町にある、県指定の重要有形文化財である「内田家住宅」で中秋の名月観月会があるよ、とのことを聞き訪ねてみた。


わたしの時間の都合で夕方の短い時間内に、お月見のしつらえを見せていただいた。

まだ陽が沈んでいない時間帯だったが、この風流に、まん丸いお月さんを心の中でしっかり楽しませてもらった。


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名月に心躍る。 [雑感]

今日、10月4日は「中秋の名月」、いわゆる十五夜である。今年は、地球の公転周期と比べ少し短かく、3年に1カ月の誤差が生じ閏月で季節のズレを調節したため9月ではなく、10月という説明が記載されていた。

面倒くさいことはさておいて、今夜は名月である。ただただ見れたらいいなと心躍らせている。
ご承知のように、今夜の月は満月ではなく、6日が満月のようである。中秋の名月の日が満月と重なることは少ない。だいたい1、2日ズレるようである。
厳密にいうなら十三夜なのであるが、美しい月には変わりない。

9世紀ごろに中国から伝来した"月見の習慣"はいまも続いている。団子にススキをお飾りし、また月を見て、詩や歌を詠むことは少なくなったが、夜空を見上げ名月を愛でるのは昔も今も変わらない。

今夜が楽しみだ!

写真は中国、香港、そして日本の美しい月。
一部Yahoo画像から転載

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