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煎茶の佃一輝宗匠プロデュースの工芸展が心斎橋大丸で。 [ライブインテリジェンス<易社文化塾>]

今日と明日、午前11時~心斎橋大丸で、煎茶の先生、佃一輝宗匠のプロデュースで煎茶道具、書斎道具の工芸展が行われます。

もし興味がある方、今日明日と心斎橋界隈に出向かれる方がおられればぜひ、立ち寄ってください。私も明日の日曜日の午後2時頃に伺います。

詳しい内容は下記の通りです。

煎茶「一茶庵」佃一輝宗匠のご指導のもと、日々研鑚を積まれる「紫陽会」茶道工芸作家の先生方による二年振りの新作展です。四季折々の風雅を楽しむご同好方のご来場を心よりお待ち申し上げます。

〈出品作家〉
池田瓢阿(竹工芸)、澤村陶哉(陶磁)、萩井一丘(木工)、萩井一司(金工)、羽原一陽(金工)、
松下喜山(金工)、三浦一孝(金工)、宮川香齋(陶磁) (敬称略、五十音順)

【呈茶席】6月5日(土)・6日(日)、各日午前11時~午後4時
【列品解説】6月5日(土)午後2時より、先生方による列品解説がございます。
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渋い、をおいしいに変化させる。-煎茶文化塾「易社」- [ライブインテリジェンス<易社文化塾>]

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日本人の味覚は繊細で豊富である。
しかし、最近は味覚をただ「おいしい」というだけで表現しているような気がする。なにを基準においしい、といえるのだろうか。よく分からない話である。

先日、煎茶文化塾「易社」でお茶のおいしさについて宗家からいろんな表現を聞いた。その中で、あまり使わなくなったのが"渋い"、"苦い"。

いまの時代、渋いや苦いという味覚を出すと、売れるものも売れなくなる。素材自体の味がそうであっても、口に合うように味付けしてしまう。それを我々は「美味しい」といっているような気がする。

お茶本来の持っている基本の味は『渋い』というものらしい。渋いからおいしくないのではなく、渋いをおいしいと感じられる味覚を教えてもらっている。

渋い、をおいしく思えるにはさてさてどうする?
実に簡単なことである。いままで気づくこともなかった。
お茶であれば、承知とおり二杯目を飲んだら、味が変わる。少し苦くなるか渋くなるはずである。そして甘く変化もする。

その変化は二杯目だから、というよりも時間にある。その時間によって茶葉が変化する。そして湯をそそぐタイミングやそそぎ方にもよる。
これが渋いをおいしいに変化させる二段三段変容活用という技である。

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俗の世界から離れて不思議な絵にめぐり合う。 [ライブインテリジェンス<易社文化塾>]

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9日の火曜日に煎茶文化塾「易社」になっての初の勉強会があった。先日の日記でも書いたように芳醇な味をもつ玉露を愉しんだ。
少しずつではあるが、この文化塾の特徴がわかるようになってきた。そのキーワードになる言葉が「五感」のような気がする。人間のもつ五感をより高めてくれる文化塾ということになる。さらに五感を働かせ行きつく先は「イマジネーション」の世界になっていく。

このイマジネーションを高めていくのが、煎茶文化塾「易社」の役割かもしれない。狙っていたわけではないが自然の流れの中で見つけられたもののような気がする。想定外といえば想定外である。

煎茶とイマジネーションの世界がどう結びついているのかというと、「佃一輝宗匠」という人がそうさせている。佃先生はいうなら、現代の”文人”である。煎茶を通して「脱俗遠塵」の芸術理念をもつ人である。つまり俗の暮らしから離れ、塵を遠ざけた世界にいる人のこと。

前回の勉強会のメイン講義が「南宗画」であった。日本で通称呼ばれているのが「南画」。この南画を私自身が説明するよりは、ネットからの参考になるわかりやすいものがあったのでご紹介する。


南画とは、捉えにくい表現であり理解に苦しむところですが、
簡単に言えば中国の唐、宋、元の時代に王維、董源、巨然らによって
始められ元の四大家によって基礎が作られた絵画様式の日本的な名称で
南宗画の略称である。
中国には文人(士大夫**階級の名称)がおり、その人たちが職業画家の絵
ではない絵を目指し文人の趣味に合う詩書画一体の文人芸術にまで高めた。
これが時代を経て日本に入り、日本独自の解釈で発展して来た。
広義の解釈では幅広い範囲の絵を含み俳画から風景山水画、墨彩画、水墨画
茶席に合う茶掛け風の簡単な絵まで、先生によってテーマと表現技法が異なります。
これが日本の現状です。

文人画は、本場の中国において階級に密着した用語であり、
職業画の蔑視と表裏一体になっている。江戸時代の「南画家」たちをひきつけたのは、
南宗画の技法そのものよりも、むしろ理念の面だった。
かれらはそこに、自らの置かれた身分制度の束縛からの芸術による解放を夢み、
それを実践したのである。画家の身分や職業はそこではむしろ問われない。
必要なのはかれらの人柄、その画く絵が俗でないことである。


という解説が記してあった。まだ理解しにくいところはあるが、佃先生に学んだことは、この世にない世界を画家のイマジネーションで創作するものである、と。その技法はいまの絵画にはないものである、という。

例えば、風景の中に、木や家や山がある。それぞれのものを見る目線がすべて違うということらしい。木は下から見上げている。家は同じ位置の目線から描いている。山は同じ高さの位置から描かれているわけである。それぞれが一緒のキャンパスに描かれている不思議な絵である。だけど一見しただけではわからない。なんともなんとも不思議なものである。画家のイマジネーションの世界を表現していることになる。

それが掛け軸になっている。その絵の楽しさ、不思議な世界の話を聞きながら玉露を愉しむ。俗の世界にはないひと時である。

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八十八夜ごろに摘まれた新茶の香りに魅かれて-<易社文化塾> [ライブインテリジェンス<易社文化塾>]

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春への誘いに雨はつきもの。6月の梅雨でもなく、秋の雨でもない、春先に一年間の澱んだ気をすべて洗い流してくれるような雨である。

そして爛漫の春を迎える。桜満開に酔いしれた後は、新茶が若葉の香りを届けてくれる。立春から数えて88日目を八十八夜という。4月下旬から5月上旬に摘まれた茶を新茶という。昔から「初もの」は不老長寿・無病息災にいいといわれている。

また春先の3月、4月に煎茶講座「易社」の会がスタートする。この易社は前に書いたが、佃一輝一茶菴宗家が名付け親である。
「社」というのは、古来文人趣味のグループをいう言葉で、詩のグループは詩社、煎茶のグループは湯社(とうしゃ)という。「易」は占いみたいですが、簡単という意味。「老子」にある言葉で、難しいことは簡単なことを大事にする、ということらしい。

この「易社」のグループは、煎茶を教わっているというよりは、大人の文化塾の勉強会といったほうがぴったり。漢字、漢詩、墨、絵、道具、時代考証、社会現象等々を茶を通して学んでいるといったほうが正解ような気がする。

だから宗家ご自身も作法はとくに重要視されていない。宗家と我々のキャッチボールで楽しんでいる講座である。想像力や感性を鍛える文化塾である。

その易社文化塾が3月から始まる。
3月9日、30日、4月20日(すべて火曜日) 午後7時~
大阪中央区大手筋の「一茶菴」
費用は3回で12,000円

この春のテーマは「究極の玉露のいれ方をご伝授。さらに酒と玉露の不可思議な混然を味わう、文人趣味ならではの春情と春怨の秘め技」の公開。

興味のある方は、ぜひぜひお越しください。
お問い合わせは、なんなりと。
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