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山麓に佇む密教寺院。 [文化想造塾<社寺>]

神戸 北区の岩嶺山の山麓に、真言密教の修業道場だった石峰寺(しゃくぶじ)がある。修業道場にふさわしい雰囲気がある。

調べてみると、石峰寺は、651年にインドの僧、法道仙人によって開基された。山麓丘陵地に伽藍を建立し、一段下がって寺院や坊舎があった。
当時は、東西ニ里、南北一里に70余の建物があり一山寺院が形成されていたようだ。

石峰寺には、本堂には大日如来が祀られている。中堂の薬師堂は、聖武天皇の勅願で行基が開眼したとされる薬師仏が祀られ、その周りに十二神将、日光・月光菩薩を祭祀されている。残念ながら、本堂、薬師堂の前に立っても中までうかがい知れない。

薬師堂の裏には、三重塔がある。薬師堂と同様に室町時代に建立され、この時代の三重塔の中ではもっとも大きいものだといわれている。
薬師堂と三重塔は、国の重要文化財にしてされている。
仁王像が睨みをきかず仁王門から本堂までに往時を思い起こさせる塔中が現在でも並んでいる。

足を踏み入れると、高野山独特の空気と同じようなものを感じる。こんな人里離れた山麓に佇む寺院の静けさは感慨深い感動を覚える。鳥肌がたつ。

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穏やかな時や風が流れる。 [文化想造塾<社寺>]

巷ではなにかと賑やかになってきている。
街頭演説で威勢のいい声が響く。

街の喧騒から離れ、穏やかな時や風が流れる場所を訪れ、お線香を焚き手を合わせるのもオツなものである。

真言宗須磨寺派大本山「須磨寺」にて。

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奥の院、まさに自然界曼荼羅。 [文化想造塾<社寺>]

奥の院までの参道は、樹齢数百年の杉木立の樹海である。

その中には数多くの歴史にゆかりのある人物の墓石や供養搭など建ち並ぶ。

奥の院に到着するまでに身が清められていくようである。

現存の曼荼羅を思わせる奥の院である。

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段上伽藍の中門には四天王像が建つ。 [文化想造塾<社寺>]

野山の総門である大門の「金剛力士像」に対し、伽藍の正門として南側入口の中門には四天王像が建つ。

これら四天王は、帝釈天に仕え仏教界を護る武将としての位置付である。
壇上伽藍の中門には、東方を護る「持国天」、南方を護る「増長天」、西方を護る「広目天」、北方を護る「多聞天」の四像がある。

これらのうち持国天像と多聞天像は、平安時代に造立されたが、焼失等で現在の像は江戸時代に造立されたものである。

開創1200年記念大法会に合わせ修復されたのと同時に、新しく増長天像と広目天像が造立され開眼法会がされ四像になった。

ちなみに、新たに造立された増長天像と広目天像は、平成の大仏師と言われる松本明慶氏の作である。

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金堂内に読経が響く。 [文化想造塾<社寺>]

先週の土曜日は秋分の日。お彼岸の中日だった。
どこのお寺さんでも彼岸会が行われる。

昨日の高野山もお彼岸とあって参拝の方々が多かったようだ。
壇上伽藍の金堂で彼岸会の読経があり、たまたま金堂内で拝聴した。声明を聴くかの如く聴き心地がいい。金堂内に響きわたるので体に沁み入るような感じだった。
また至るとこで若い僧侶のお経が聞こえてくる。

金堂前の椅子に腰をかけている一人の僧侶が目に入った。穏やかな表情で私を見つめているので声を掛け、しばし歓談させていただいた。人を受け容れる包容力が身体から溢れていた。
タイの仏教僧で数日間、高野山に研修で滞在しているとのことだった。

日常にない時空に身を置くとなぜか楽しくてしょうがなくなる。そういう場所がいくつかあるというのは幸せである。

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神仏習合の名残り。 [文化想造塾<社寺>]

明治元年、政府から出された「神仏判然令(神仏分離)」までの約千年は「神仏習合」という信仰体系をとっていた。神道と仏教、神と仏、神社と寺院が融合していた。

明治維新後、神仏判然令によって分離したものの、いまでもその名残が見えるのが高野山奥の院。弘法大師御廟までにそれはそれは数多くの戦国大名などの墓石がある。
その墓石や供養塔の前に鳥居が建てらているものがたくさんある。まさに神仏習合時代の名残である。

違和感があるものの、その当時の現象がいまも見れる不思議な世界である。

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柳は、中国古典によく登場する。 [文化想造塾<社寺>]

東寺の蓮池のほとりに柳の木がある。平安時代の能書家 小野道風の逸話に、蛙が柳に飛びつこうと何度も繰り返す。このひたむきの蛙の努力を見ていると、努力するれば運も味方する。そんな想いを持ったとある。
その逸話が「柳」と「蛙」を結びつけたかどうかは知らないが、一対でよく登場する。

「柳」といえば、中国の古典によく出てくる。”別れ”とかの場面で近親者が別れの餞けに”達者で暮らせよ”と柳を輪にして手渡す風習があったようだ。

そんな風習も、空海が唐から持ち帰った行李(こうり)の中に詰まっていたのかも知れない。

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関帝廟と同様に、この街の心のシンボル「横浜媽祖廟」。 [文化想造塾<社寺>]

2006年、横浜が開港150周年迎えたたとき、横浜中華街に落慶開廟したのが「横浜媽祖廟」。この街の新たなシンボルとして厚い信仰を集めている。

関帝廟のあとに訪ねたが、閉廟され外からしか観れなかったが、見て(写真)のとおり、関帝廟以上の装飾をまといきらびやかな寺院として君臨している。
ここに祀られている神は、宋代に実存した巫女といわれ、のちに天后、天妃、天上聖母などと尊称された「媽祖(俗称)}である。

28歳のとき天に召され神になり、海上を舞い難民を救助する姿が見られたとされ、廟を建て護国救民の神として祀られるようになった、という。
媽祖の神通力が知られ、歴代の皇帝も敬意を表するようになったとされている。その後、航海を守る海の神として、また災害や疫病などから護る神として華僑が住む世界各地で信仰されているようである。

関帝廟と同様に、きらびやかな極彩色の伽藍が、いらかを連ねる荘厳な寺院として日本の華僑の人たちのよりどころになっている。

つづく。次は「中華街の門」

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きらびやかな横浜中華街のシンボル「関帝廟」。 [文化想造塾<社寺>]

横浜の夜を過ごすなら「中華街」ということで繰り出した。
過去に行ったことはあるが、前回がいつだったかも記憶にないくらいむかしである。

ただ記憶に残っていた唯一の建造物が「関帝廟」だった。しかしながら訪れたのは今回が初めて。ご存知のとおり、中華街でひときわ目をひくきらびやかな廟(中国寺院)は、三国志で有名な関羽が祀られている。

日本が開国し横浜の港が開かれたのは、ご承知のとおり幕末の1859年。多くの外国人が横浜を訪れ、居留地をつくり暮らすようになった。その中のひとりの中国人が関羽の木像を抱いて、現在の地に祠を開いたのが関帝廟の始まりだとされている。
歳月を経て、1990年に、中国の伝統建築技法を駆使し建造されたのが、現在の第四代関帝廟。このきらびやかさは中華街の中でもひときわ目立った存在である。

なぜ、あの三国志の関羽が祀られているのか? これに疑問を持つのは私だけではないと思う。ウィキペディアによると、関羽は、信義や義侠心に厚い武将であるのは三国志を読まれた方は同意されるはず。民衆によってさまざまな伝承や信仰がうまれたようである。そしてその後の王朝が関羽を神格化していった。

さらに、関羽は塩の販売に関わっていたという言い伝えがあり、その商売に欠かせないそろばんを発明したという俗説までが生まれた。そのために世界中に散らばっている華僑の商売繁昌の神として祀られているという。

とにかく見てのとおり、牌楼の門をはじめ本殿、さらには本殿の屋根の龍などには中国伝統技法による細かな木彫の彫刻に鮮やかな色や金箔が施されている。とくに本殿内の装飾品や天井、壁面等々には見るも鮮やかな極彩色で宇宙が表現されている。

訪ねたときは閉院10分前だったが、外にある大きな香炉からは線香を焚いた煙がもくもく上がっていた。驚いたことに、匂いがない。地域のことを考慮しての匂いなしの線香かなと。

横浜は、港のある景色、居留地、近代建築物などなど見応えのあるスポットも多いが、この中華街の景色に改めて圧倒され、中国建造物の趣に興味をもった。再度、ゆっくりこの地を歩いてみたいと思っている。

つづく。次は「横浜媽祖廟」。

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いつ観ても「双龍図」に驚嘆。 [文化想造塾<社寺>]

建仁寺の法堂は仏殿を兼ねた禅宗様仏殿建築。「拈華堂(ねんげどう)」とも呼ばれている。ご存知の方も多いと思うが、天井には「双龍図」が描かれている。
2002年に日本画家の小泉淳作氏が、創建800年を記念して描いたもの。

正面須弥檀には、本尊釈迦如来坐像と脇侍迦葉尊者、阿難尊者が安置されている。

五間四間の禅宗ならではの空間がみごとコントラストされている。
何度訪れても驚歎させられる建造物である。

写真は明暗を変えてみた。

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