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関帝廟と同様に、この街の心のシンボル「横浜媽祖廟」。 [文化想造塾<社寺>]

2006年横浜が開港150周年迎えたたとき、横浜中華街に落慶開廟したのが「横浜媽祖廟」。この街の新たなシンボルとして厚い信仰を集めている。

関帝廟のあとに訪ねたが、閉廟され外からしか観れなかったが、見て(写真)のとおり、関帝廟以上の装飾をまといきらびやかな寺院として君臨している。
ここに祀られている神は、宋代に実存した巫女といわれ、のちに天后、天妃、天上聖母などと尊称された「媽祖(俗称)}である。

28歳のとき天に召され神になり、海上を舞い難民を救助する姿が見られたとされ、廟を建て護国救民の神として祀られるようになった、という。
媽祖の神通力が知られ、歴代の皇帝も敬意を表するようになったとされている。その後、航海を守る海の神として、また災害や疫病などから護る神として華僑が住む世界各地で信仰されているようである。

関帝廟と同様に、きらびやかな極彩色の伽藍が、いらかを連ねる荘厳な寺院として日本の華僑の人たちのよりどころになっている。

つづく。次は「中華街の門」

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きらびやかな横浜中華街のシンボル「関帝廟」。 [文化想造塾<社寺>]

横浜の夜を過ごすなら「中華街」ということで繰り出した。
過去に行ったことはあるが、前回がいつだったかも記憶にないくらいむかしである。

ただ記憶に残っていた唯一の建造物が「関帝廟」だった。しかしながら訪れたのは今回が初めて。ご存知のとおり、中華街でひときわ目をひくきらびやかな廟(中国寺院)は、三国志で有名な関羽が祀られている。

日本が開国し横浜の港が開かれたのは、ご承知のとおり幕末の1859年。多くの外国人が横浜を訪れ、居留地をつくり暮らすようになった。その中のひとりの中国人が関羽の木像を抱いて、現在の地に祠を開いたのが関帝廟の始まりだとされている。
歳月を経て、1990年に、中国の伝統建築技法を駆使し建造されたのが、現在の第四代関帝廟。このきらびやかさは中華街の中でもひときわ目立った存在である。

なぜ、あの三国志の関羽が祀られているのか? これに疑問を持つのは私だけではないと思う。ウィキペディアによると、関羽は、信義や義侠心に厚い武将であるのは三国志を読まれた方は同意されるはず。民衆によってさまざまな伝承や信仰がうまれたようである。そしてその後の王朝が関羽を神格化していった。

さらに、関羽は塩の販売に関わっていたという言い伝えがあり、その商売に欠かせないそろばんを発明したという俗説までが生まれた。そのために世界中に散らばっている華僑の商売繁昌の神として祀られているという。

とにかく見てのとおり、牌楼の門をはじめ本殿、さらには本殿の屋根の龍などには中国伝統技法による細かな木彫の彫刻に鮮やかな色や金箔が施されている。とくに本殿内の装飾品や天井、壁面等々には見るも鮮やかな極彩色で宇宙が表現されている。

訪ねたときは閉院10分前だったが、外にある大きな香炉からは線香を焚いた煙がもくもく上がっていた。驚いたことに、匂いがない。地域のことを考慮しての匂いなしの線香かなと。

横浜は、港のある景色、居留地、近代建築物などなど見応えのあるスポットも多いが、この中華街の景色に改めて圧倒され、中国建造物の趣に興味をもった。再度、ゆっくりこの地を歩いてみたいと思っている。

つづく。次は「横浜媽祖廟」。

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いつ観ても「双龍図」に驚嘆。 [文化想造塾<社寺>]

建仁寺の法堂は仏殿を兼ねた禅宗様仏殿建築。「拈華堂(ねんげどう)」とも呼ばれている。ご存知の方も多いと思うが、天井には「双龍図」が描かれている。
2002年に日本画家の小泉淳作氏が、創建800年を記念して描いたもの。

正面須弥檀には、本尊釈迦如来坐像と脇侍迦葉尊者、阿難尊者が安置されている。

五間四間の禅宗ならではの空間がみごとコントラストされている。
何度訪れても驚歎させられる建造物である。

写真は明暗を変えてみた。

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禅寺 龍潭寺は井伊家の菩提寺。<湖東シリーズ4> [文化想造塾<社寺>]

近江八幡から彦根まで少し足を伸ばしてみた。ご存知のとおり、彦根市は井伊家のお膝元であるため歴史上では知名度が高い町である。
彦根城はもちろんのこと神社仏閣でも歴史と深く関わっているところが多い。その一つが、2017年の大河ドラマ「女城主・直虎」で一躍有名になったお寺「龍潭寺(りょうたんじ)」である。

彦根市の龍潭寺は、1600年に井伊直政が佐和山城(現・彦根市)主となった際に、静岡浜松市にある井伊家の菩提寺である龍潭寺を分寺して建立された。それ以来、彦根の龍潭寺は井伊家の菩提寺になっている。
佐和山城主は彦根藩の藩主だけでなく過去には石田三成が居城としていたという歴史のあるお城である。

それに、龍潭寺は「だるま寺」との異名をとっている。「達磨(だるま)大師」は禅寺を開祖。それにより「だるま」は禅寺と深く関わっている。手足がないので自由が利かないが、「だるま」は、壁のように動ぜぬ境地で真理を観る、という禅の概念に通じるものとして、龍潭寺では「だるま」が真理の対象物として崇めている。

達磨大師に由来する恒例行事として、龍潭寺では毎年4月1、2日の両日に「だるままつり」なるものが行われている。慈悲と救済を得るように祈願するもので、起き上がり小法師約5千体が並ぶ様子は空前絶後である。

龍潭寺は、禅寺らしく慎まい雰囲気がある。書院や庭園も派手さはないが静寂な佇まいに背筋が自然に伸びる。そこに桃の花が厳かに咲いていた。美しい!

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至貴の聖地「伊弉諾神宮」を訪ねて。 [文化想造塾<社寺>]

淡路島、多賀にある「伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)」は、古事記や日本書紀には国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)」を構えて余生を過ごされた、その御住居跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が、この「伊弉諾神宮」の起源と記されてある。

この幽宮は、大鳥居から参道を進むと神池に反り石の神橋が架かって檜皮葺の重厚な神門をくぐるとその奥に拝殿があり本殿がある。本殿には、皇室の御祖神たる天照大御神のご両親、伊弉諾尊と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の両神が祀られている。

本殿は弊殿と屋根が連結されている、日本の神社建築様式の一つである「三間社流造」。
拝殿は、東アジア伝統的な屋根形式の「銅板葺入母屋造」である。いずれにしても神門、拝殿、本殿の随所に日本の国章である菊花紋が施されている。皇室の御祖神の流れを汲んでいる神宮の一つになる。

日本の神社などは伝説や謂れの宝庫といってもいいだろう。考えていくと不思議な世界へと誘われる。なぜ、この位置(場所)に建てられたか、日本の誕生の起源なるものが神社と深く関わってくる。
いずれにしても、とくにこの伊弉諾神宮は、神社、神宮の中でも至貴の聖地として尊ばれている。一度訪ねてみたかった聖地の一つだった。境内に立つとなんとなく空気が違うような気がした。たまにこのような場所を訪ねるのもいいものである。

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京都壬生寺の「襖絵・障壁画」が特別公開される。 [文化想造塾<社寺>]

友禅作家のあだち幸さんの描かれた京都 壬生寺「襖絵 障壁画」がこの4月 29日から5月 5日まで特別公開されます。この期間中は壬生狂言も同時に行われているようです。京都にお住まいの方に、京都へ行く予定をしておられる方にお勧めします。

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暑さ凌ぎに東本願寺の御影堂へ。 [文化想造塾<社寺>]

京都駅で電車を降り外に出ると、午前中にもかかわらず灼熱の陽射しが照りつけていた。
こんなときには、エアコンのきいたカフェでひと休みと思うのだが、それよりも一服の清涼をもとめ、駅から歩いて数分のところにある東本願寺さんに駆け込む。
あの広い御影堂での静寂のひとときがなによりの暑さ凌ぎになる。

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