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伝統文化 ブログトップ
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時代劇は、伝統工芸に支えられている。 [伝統文化]

TVや映画で時代劇を観る機会がほとんどなくなった。

私らの世代では、時代劇を観ることが最大の娯楽だった。それに馴染んだファンにとっては観る機会が極端に減ったことは残念である。

 

先日、時代劇の巨匠の一人である「中島貞夫監督」の話を聞く機会があった。お会いするのは当然初めてである。時代劇、やくざ映画ファンとして中島作品観賞は欠かせない、という時代を過ごした。その巨匠が20年ぶりにメガホンをとるという。それに関してはまたの機会に紹介するとして、監督の話を聞きながら心に響くことが随所にあった。

 

中島監督が時代劇をつくるとき、とくに気にすることが「小道具」だという。時代劇では小道具の代表が「刀」である。刀の製作には監督の目が光る。そしてもう一つが「草鞋(わらじ)」らしい。

草鞋は、その時代の履物で、侍や武士にとっては、いまの時代で言うならアスリートのシューズのようにモノ。旅に出る、闘いで走り回る場合等々の動きの時もすべて草鞋である。

 

時代劇等で使用する場合、当時の草鞋をできるだけ忠実に再現する必要があり、しかも動きの激しい立ち回りでは昔のままでは当然履物として機能しない。そこに小道具をつくる人たちの知恵と工夫がいる。いいモノができれば、これが、時代劇をつくるものにとっての喜びにつながり、隠れた資産になっていくようだ。

 

たかが、草鞋 されど、草鞋である。


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伝統工芸士へ、まずは一歩。 [伝統文化]

伝統工芸士への道程は長いが、まずは第一歩を踏み出した。

木に文様を彫っていく。日本の伝統的文様は美しい!



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活気あふれる浅草演芸ホール [伝統文化]

都内にある落語定席の一つとして人気なのが「浅草演芸ホール」。

以前から機会があれば、行ってみたいと思っていた。

横浜での仕事を終え浅草に向かった。この寄席は入れ替え制ではないので、随時入場できるので助かった。

 

午後の部の途中から入場し、楽しみにしていた「紙切り」に間に合った。演者は林家楽一さん。お囃子に併せて切るだけかと思いきやボソボソと語り始めた。

なんとも言えない間と絶妙な語り口に客席から笑いが起こる。お客様からお題を頂戴して即興で切っていく。そして出来上がれば、お題を提供した人へプレゼントする。

素晴らしい紙切りに併せ、楽一さんのトボケた語り口に、これぞ演芸!の醍醐味を見せてもらった

 

落語では、春風亭一之助さんや柳亭市馬さなど中堅どころの噺家さんの語り口の絶妙さが光っていた。もう一人、見てみたいと思っていた噺家、鈴々舎馬風さんの元気姿だった。現在78歳のご高齢にも関わらず声もしっかり通っていた。

私には馬風という名よりも かゑるの方が馴染み深い。キックボクシングが全盛の頃は、リングアナウンサーとしても大活躍。のち、鈴々亭馬風を襲名されてからは落語一筋に、そして2006年には落語協会会長に就任された。

 

いまもまだ高座に出て落語を披ろう。老いて声に深み増す元気姿に感激。

上方であろうが、江戸であろうが、道一筋の粋姿は改めて感動した。


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明日は「桃の節句」 [伝統文化]

明日は「上巳(じょうし/桃)の節句」。

"節句"は、中国の暦法で定められている「季節の変わり目」のことをいう。もともとは、せっくを"節供"と書いていたようだ。  


資料によると、中国では古くから、"桃の木には体の中の悪いものを取り除く力がある"と考えられていたようだ。その伝説が日本に伝わり、3月上旬に花が咲き、可憐な美しさが、女の子のイメージに重なるということから"桃の節句"と言われるようになった、と。


すでに台湾では見ごろのよう。友人が写真を送ってくれた。

梅、桃、桜はなかなか見分けがつきにくい。桃は、花弁の先が少し尖っている。ちなみに梅は丸く、桜はハート形。梅と桜のシーズンの間に咲くので馴染みが薄い。

しかしながら、中国、台湾では、桃源郷などと称し重用されている木である。



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七夕の夜に、針に糸を通す。 [伝統文化]

前に記したように、中国では七夕のことを「乞巧(きっこう)」と言っていた。その乞巧が、日本に伝わったときは「七夕」ではなく、「棚機(たなばた)」と書かれていたようである。
それは、七夕に登場する織女(しゅくじょ)星ははた織りや裁縫の仕事、牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事をつかさどる星とされていたからのようだ。

その織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにと祈るようになった、と言われている。七夕の夜に庭先に祭壇を設け針など供え星に祈りを捧げ、月の光の下で針の糸を通すという、風習がいまでも中国にはあると聞く。

そのような七夕伝説が、日本に伝わったと思われるが、伝説をおもしろく結びつけPRするのは日本の企業等は得意なのだが、結びついていったという話しは聞かない。
織女星と牽牛星、天の川、上弦の月という想像を広げてくれる題材をフルに使ってメルヘンティックな世界に誘ってくれる「七夕」を、裁縫やはた織りなどの繊維業界が結びつけてないのはいささか解せぬ。

ちなみに中国では、七夕の夜、織女星に向かって針を月にかざし糸を通している絵が残されているようである。

絵はYahoo画像から転載
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七夕は、女性の節句。 [伝統文化]

七夕は、どの地方でもすでに終わっている。7月7日が、通常では七夕である。
ご存知のように、すべての暦(こよみ)は新暦で行われている。
その昔、旧暦で行われていた歳時や祭り事は、いまの新暦でいうと当然ながら季節のズレが生ずる。

自然の摂理に基づいて行われていた事が、新暦に準ずると違和感が生じる。そういう違和感を感じる祭り事の中で、七夕もそうである。新暦では7月7日であるが、旧暦にあてはめると通年8月10日前後となる。しかし、今年は閏年の関係で8月28日のようである。

いつもは8月10日前後に夜空を眺めると、もしかすると天の川と織姫星と彦星と上弦の月が見られるかもしれない。上弦の月があっての七夕のようだ。この時期が一番織姫星と彦星が接近する。しかし天の川を挟んでいるから逢うことはない。
そこで、彦星が上弦の月に乗って織姫に逢いに行く。そんな楽しい伝説がある。だから七夕は、上弦の月を入れ”七夕伝説”が成り立っているらしい。

さて、稽古で写真にあるお軸が掛かっていた。
これが七夕を表現するお軸 !?
賛を観ても画を観ても、七夕を想像させる要素が全く見あたらない。なら、画はなにか、ということから始まった。たぶん毬(まり)だろうと思える。なら、葉っぱのなんだろう、となるが思い当たるものが出てこない。
賛の漢詩を詠むと最後に「乞巧(きっこう)」と書かれてある。ご存知の方も多いだろうが、この言葉が、中国でいう七夕のこと。

七夕は、古代中国の祭り事である。それが日本に伝わり日本の風俗や地域にあった七夕に変化していった。中国はいまも七夕を祝う風習はあるようだ。日本のようにお供えをするらしい。中国の場合、女性のお祝い事のようである。裁縫や手芸が上手になりますように、と。

賛に書いてある七針(針に七つの糸を通す穴がある)で七色毬をつくる。その毬を置いて、七夕の夜に天の川と2つの星、そして月をたらいに映し出し、梶の葉の裏に願い事を書いて浮かべるというお遊びがあるらしい。
だから、毬に梶の葉を添えて七夕を表現している。

解説を聞いていると一つの祭り事でも、時代や地域、また人の捉え方で内容が異なる。基本情報をおさえながらそれぞれが、それぞれの捉え方で楽しむのがいいのかも。

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"日本の心"が凝縮されている。 [伝統文化]

俗界から離れ、夜の花街で芸者さんをお座敷に呼んで遊ぶのは、お金持ちの旦那衆というイメージがある。
いまの時代も、昔より門戸が開かれたといえ一見さんは座敷にはあげてもらえない。花街のお茶屋さんは、昔から「第二のお家」という気持ちで御贔屓さんをおもてなしをしている。そのお家に見ず知らずの人をあげない、という習慣がある。最もな理屈である。

ここ数年、フェイスブックで京都祇園、金沢、高知、東京などなどの花街の芸者衆のお姉さんがたと繋がっている。芸者衆もSNS等で情報を発信し開かれた花街を紹介している。お陰で花街の伝統文化や習わし等に関心を寄せるひとりになっている。
昔、何度かお客さんに連れられ祇園のお茶屋さんに連れて行ってもらったことがあるが、俗界にたっぷり浸かっていた当時は、あのお遊びの粋さを知る由もなかった。

そのお茶屋さんには、御贔屓さんをおもてなしする芸者さんが、それぞれに所属している。芸者さんには、ご承知のとおり「舞妓」さんと「芸妓」さんがいる。舞妓さんは、十代からお茶屋さんに入り芸妓さんになるために数々の稽古事や行儀作法を学ぶ。その稽古事には、舞踊、お囃子(笛・小鼓・大鼓)、三味線に唄(長唄・常磐津・清元・小唄)、そしてお茶等々、かなり厳しい稽古が続くという。一つだけでも稽古するのが大変なのに、と思ってしまう。

晴れて21歳になると芸妓としてお店にでて、舞妓時代に鍛え磨かれた技能をお客様のお座敷で披露する。
芸妓さんは、舞妓時代といくつかの違いがある。その大きな違いはまずし頭。舞妓さんは地毛(自髪)で結うが、芸妓さんはかつらを被る。写真を見ると確かにそのようだ。
着物は、舞妓さんは中振り袖で肩を縫い上げ、帯は長くだらりと垂れ下げる。そしておこぼ(こっぽり)を履く。それに対して、芸妓さんは袖も短く帯は太鼓を結ぶのが普通のようだ。

この花街には、伝統文化が根強く伝承されている。古くからの慣習や習慣、そしてお座敷、その空間、芸者さんの衣装や外観、さらにおもてなしをする技能等々あげれば切りがないぼどある。
なによりもこの花街には、お客様をおもてなしする心、つまり"日本の心" が凝縮されている。
そんな花街の世界へ自分の意志でチャレンジする十代の女子が少し増えていると聞く。数少ない日本の伝統文化伝承者としてきばってほしいものである。

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家紋は、日本の文化。 [伝統文化]

「今日は、徳川家康が征夷大将軍になって、江戸幕府が成立した日」とヤフーのトップページに出ていた。その一分のあとに、徳川家の家紋のモチーフになった植物は?という追文があった。

この一文にひっかかり、家紋に少々興味をもつ人間としてはちょっと調べてみたくなった。時代を遡っていくと、当然ながら織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった天下を統一した武将が登場する。その武将が用いていた「家紋」というものにも興味がそそられる。

それぞれの武将のドラマをよく観てきた。その度に「家紋」が映像に流れ何気なく頭に残っている。とくに長い時代、日本を統治した徳川家の家紋が印象深い。ご存知「葵紋」である。
馴染みがあるのが "この紋どころが目に入らぬか" という台詞で有名な水戸光圀公の"黄門さん"。黄門さんが印籠を前に突きつけ悪者を退治する。その印籠に葵紋が描かれている。
そんな光景をよく観てきた者には「家紋」の意味がなんとなくわかっている。

徳川家の前は、豊臣、そしてその前が織田。この御三家が使った紋が写真の通りである。信長はいくつかの紋章を使っていたといわれているが、織田家としては、やはり「木瓜紋(もっこうもん)」。そして「桐紋」。その中でも「五三桐紋」は信長と所縁が深い。その家臣であった秀吉も「桐紋」を継承。しかし、豊臣という名を名乗ったときから、信長の桐の葉の枚数を変え「五七桐紋」を使ったといわれている。

そのあとに登場する家康が、三つ葉葵の葉をモチーフにした「葵紋」。いずれにしても家紋には植物の葉や花がモチーフになることが多い。自然が織りなす色や形などを観ると新しい何かが生まれてくるような気がする。
日本の伝統文化は、自然の中から生まれ育まれた宝物である。

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「露天神社」って、お初天神!? [伝統文化]

「露天神社(つゆてんじんしゃ)」といってもピンとくる人は少ない。大阪の方でも、え!、それどこ?っていいそうな神社名である。一方、「お初天神」といえば、大阪人なら常識! とまではいわないが、知名度は抜群だろう。

お初天神といえば「曾根崎心中」である。こういうと、他府県の方も知っているょ、といってくれそう。ご存知のとおり、1703年にこの神社境内で実際におこった、遊女「お初」と醤油屋の使用人「徳兵衛」の情死を題材に、当時の劇作家 近松門左衛門が「曾根崎心中」というタイトルで文楽人形劇化したものである。その「お初」の名をもじり「お初天神」と呼ばれるようになったようだ。

このお初天神は、大阪の梅田地域の東地区にあり、飲食店などが軒を連ねる夜の盛り場のど真ん中にある神社で、曾根崎お初天神通り商店街を抜けたところにある。
かつて2人の男女が永遠の愛を誓ったこの地ということで、男女のカップルや恋への成就を願い訪れる人がひっきりなしという。

この歳で恋の成就を願い参拝したわけではないが、正式名称ではなく「愛称・通称」で呼ばれている名所の独特の空気感に魅かれる。それは、本来の名称由来以外に、通称で呼ばれるストリーがそれぞれにある。そのストリーの方が、興味の矛先になっている。

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神の領域の入口「鳥居」噺。 [伝統文化]

ここ数年、日本文化に興味をもち海外から訪れる観光客を含め、神社にお参りする人が増えているような気がする。
神社の境内は神の領域とされていることからパワースポットとして、とくに若い女性たちにとって数年前から人気が急上昇しているようだ。

その神の領域の入口として建てられているのが「鳥居」。この「鳥居」にはいろんな種類がある。大別すると神明系と明神系の2系統あり、明神系のほうが装飾性が強いのが特徴である。その中でもイラストにあるように、伊勢神宮、靖国神社は神明系になる。

一方、明神系はよく見かける鳥居ではあるが、その中で、少し珍しい鳥居がある。例えば、広島 厳島神社の鳥居は「両部鳥居」といい、奈良 大神神社のは「三ツ鳥居(三輪鳥居)」という。

先日訪れた大阪市中央区九太郎町の坐摩神社が、この三ツ鳥居である。その理由は不明だが非常に興味深いものであった。ただ、資料を調べていくと、イラストにあるように、大きな鳥居の左右に一回り小さい鳥居がくっついており、4本の柱で支えられている形になっている。

坐摩神社の三ツ鳥居は、「三泉」を象徴しているという人もいる。坐摩神社のご祭神は「坐摩大神」で、“生井神(生命力のある井戸水の神)” “神井神(幸福と繁栄の井戸水の神)” “綱長井神(深く清らかな井戸水の神)” “波比祇神(屋敷神・庭の神)” “阿須波神(足の神・旅の神)” の五柱を総称して坐摩神社という。その中の「三泉」から三ツ鳥居になったということが文献に記してあった。

門外漢である小生では、資料から紐解いていくのはこの程度である。調べれば調べるほどド壷にはまりそうなので、ひとまず終えた。
また神社に参拝された時は、鳥居の下で一礼をするが、見上げてみるのも楽しいものかもしれない。

資料をひも解いていると思いもよらない大発見(?)があるかも。一つ披ろうすると、知っている人は今さらとおっしゃるかもしれないが読み流してください。

※飲料メーカー大手「サントリー」の社名の由来。創業者の鳥居信治郎氏は、奈良 大神神社の熱心な氏子だった。この大神神社の鳥居は、前述したように「三ツ鳥居」。 “ツ” をとって「三鳥居」となり、カタカナで「サントリー」と命名された、という話し。

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鳥居のイラストはYahooから転載
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