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文化想造塾<易社/煎茶> ブログトップ
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煎茶体験会。<e-よこ逍遥> [文化想造塾<易社/煎茶>]

今年も「e-よこ逍遥」が始まります。
5月14日(月)から6月14日(木)までのちょうど1ヶ月間。
この間に、大阪市中央区の堺筋と松屋町筋の間を流れる東横堀川周辺地域で開催されるイベントです。

私が煎茶稽古で足しげく通う「一茶庵<易社>」の公開<煎茶>体験会が、この期間に「文人煎茶を愉しむ」をテーマに5月15日(火)と29日(火)の2回行われます。時間は午後7時〜9時です。参加料は、3500円です。
場所は、大阪市中央区大手通1-1-1「一茶庵」です。

一茶庵は、煎茶を通して中国や日本の文化を学ぶ草庵。 “登録有形文化財”に指定されている、煎茶独特の雰囲気をもつ建物(屋内)です。非日常の時間と空間で煎茶を楽しんでいただく体験会です。
初心者の方々を対象にした体験会なので、お気軽にご参加いただけます。服装は自由です。

お問い合わせ、ご予約は、下記の電話かメールでお願い致します。
TEL O90-3658-7804 email ipc-nagomi@ezweb.ne.jp 渡邉(わたなべ)まで

「e-よこ逍遥」の詳細については下記のアドレスでご参照ください。
http://e-yokobori.jp/ey/wp-content/uploads/2018/04/eよこ逍遥20185.pdf

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春といえば「鶯」 [文化想造塾<易社/煎茶>]

昨夜の稽古は少し遅れて入った。
着くなり、宗匠から、あのお軸は何が描かれていますか? 速攻に聞かれても、私の知識では答えようがない。回らない頭を振ると、昨年くらいに見たお軸を思い出した。

あの鳥は"鶉(うずら)"だ。宗匠や仲間からの笑いが漏れている。宗匠から鶉なら季節はいつ頃?という質問が飛んできた。
えぇ〜と、またまた頭を振らなければと、必死。大伴家持の、鶉を詠んだ悲哀の和歌を思い出した。
この春に悲哀はないでしょう、と宗匠に突っ込まれ、そりゃ、そうだ!と納得。
なら、表装の色は何色? 
薄いブルーである。
この色から連想すれば分かるでしょ!とさらに突っ込まれた。春の鳥といえば、この鳥をまず連想しない、と。
ホーホケキョと鳴く鳥は? といわれ、そうか!と。やっとここで"鶯(うぐいす)"が頭に登場した、情けない話から始まった。

この鶯を見ながら、昨夜は「雁が音」を淹れた。まろやかで優しい、春の味である。

テーマは"鶯"。となると、昔から国語の教科書にも登場した「江南の春」である。
もちろん頭からすっかり消え去っている。
ご存知の方も多いと思うが、「杜牧」の詩である。晩唐の政治家・詩人 。天才詩人と世に知れ渡ったのが20代のとき。26歳で進士となり、江蘇省の楊州に赴任した時代には名作を多く残している。その代表作が「江南の春」である。

その詩を宗匠の後に続き朗読。声を出して読むと不思議なものであるが、情景が浮かんでくる。江南地域の村や山々の古里に酒屋の旗が春風にたなびいている。そこに多くの仏教寺院が点在する。そして鶯の鳴き声が聞こえてくる。こぬか雨でその風景は霞む。懐かしの古里を思い出させるような風景だ。

千 里 鶯 啼 緑 映 紅 
水 村 山 郭 酒 旗 風 
南 朝四 百 八 十 寺 
多 少 楼 台 煙 雨 中

千里鶯啼いて 緑紅に映ず
水村山郭 酒旗の風
南朝 四百八十寺
多少の楼台 煙雨の中

せんりうぐいすないて みどりくれないに えいず
すいそんさんかく しゅきのかぜ
なんちょう しひゃくはちじゅうじ(はっしんじ)
たしょうのろうだい えんうのうち

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梅の葉に包まれたお菓子
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視覚的イメージが強い蘇軾の詩。 [文化想造塾<易社/煎茶>]

煎茶の稽古で蘇軾の詩はよく登場する。前回の稽古は参加できなかったが、蘇軾の詩を紐解いていく内容だったよいだ。


その詩は、蘇軾の詩の中でも最も有名なもののひとつ。視覚的なイメージで色気をかもしだし、花に声をかけるかのような風流さがユーモアを感じさせるものである。

そんな解説が記述されていた。


東風渺渺泛崇光

香霧空濛月転廓 

只恐夜深花睡去

故焼高燭照紅粧


東風がはるか彼方から吹いてきて星影がゆらぎ、花の香りが立ち込めて月が庇に傾く、夜が更けて海棠(かいどう 写真)の花が眠ってしまうのが心配だ、だから蝋燭の火を明るくともして花を照らしてやることにしよう


という意味になる。

蘇軾は、自分の身の挫折をきっかけに仏教的な内省に親しむようになっていった。そんな蘇軾の周りに多くの人が集まってきた。

その当時に書いた詩がこれである。海棠の花への優しさを、つまり官人としての人民への思いを花に例え記した。



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宜男花、って? [文化想造塾<易社/煎茶>]

初稽古に掛けられていたお軸の漢詩に「宜男花」という言葉があった。

花の名前だろうと想像はつくが、聞いたことのない名前。中国 元の時代の詩に登場するくらいだから昔から存在する花のようだ。


聞くと、「宜男花」は中国原産のユリ科の多年草で、夏、オレンジ色か赤黄色の花を咲かせる、ということらしい。


煎茶にはたまに登場する花のようだ。それは、素敵な男性を意味する。詩によく使われ、良き男性に巡り逢いたい気持ちを、この「宜男花」で表すことがある。


また、薬効として食べると憂いを忘れるといわれ、「忘憂草」という別名もあるよいだ。


写真にある茶托に描かれているのも「宜男花」である。


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文人趣味の粋 [文化想造塾<易社/煎茶>]

深宮飽食恣猙獰,

臥毯眠氈慣不驚

卻被卷簾人放出,

宜男花下吠新晴


宮殿の奥深い一室にどう猛そうな大きな犬が絨毯の上に寝そべっている。

簾を跳ね除け、宜男花の咲く青空に向かい吠える。


という訳になろうか。

この詩は、宮殿の一室で犬と暮らす皇女(側室)が皇王を待つ侘しさ寂しさを犬の遠吠えで表したいものとなる。


初稽古の席に、戌年に因んでこのお軸が掛けられていた。昭和九年に一茶庵である方が描いたものである。


お正月にしては少し違和感のあるお軸と思いながらも、宗匠の意図を読み取るまでには至らない。が、これもお遊びと解けば文人趣味の粋な計らいなのだろう。


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清酒に茶葉を混ぜた、本来の「お屠蘇」。 [文化想造塾<易社/煎茶>]

煎茶の初稽古では、清酒が席にでることがある。言うならば「お屠蘇」である。

お屠蘇はご存知の通り、日本酒で生薬を浸けこんだ薬草酒の一種である。邪気を払い無病長寿を祈り、心身ともに健康を願い飲む、お正月ならではの酒である。


昔からお茶は薬草の一種とされている。そのお茶と清酒の組み合わせは何度か体験させていただいているが、昨夜は、また珍しい煎茶ののみ方を学んだ。


お酒の中に菊花弁が並々と浸っている(写真)。そのお酒を急須にとり炉にかけ温める。いわゆる温燗である。

それをいただく。一煎目である。お酒に菊花弁のまろやかさが加わり舌に残る。美味しい。


二煎目は、同じように菊花弁が浸かるお酒を急須にとり炉にかけ、そこに煎茶葉を入れ少し温める。

この組み合わせは、今までに賞味したことのないまろやかさが喉を覆う。


さらに三煎目が"妙味"。それは、湯のみに茶葉を直に入れ、それに菊花弁に浸かるお酒を少し沸かし注ぐ。これを口に含む、お酒の苦味、酸味に茶葉の甘味が絶妙な味を醸し出す。


見事な清酒とお茶の組み合わせである。

本来の「お屠蘇」を堪能させていただいた。


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お菓子は干柿
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間違いが故事に。「漱石枕流」 [文化想造塾<易社/煎茶>]

写真は、昨夜の稽古でかけられていたお軸である。
幾日霜風木葉乾,湖山深處水雲寬
閒情每向無人得,落日孤亭枕石寒
といった漢詩が書かれている。

風や霜がおり木の葉は乾いてる。
深い山、湖に雲が広がる。
この広いところに人の気配はない。
日が暮れひっそりとした小屋で石の枕が寒々しい。

旅人が一泊の野宿に立ち寄ったのか、また一人寂しく隠棲しているのだろうか。どちらにしてもその風景が想像できる。
詩中の「枕石(ちんせき)」という言葉が状況を推察するヒントになる。

中国の故事に、「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」という熟語がある。この意味は、自分の失敗を認めず、屁理屈を並べて言い逃れをすること。負け惜しみの強いこと。
この言葉は、三国志に登場する西晋の政治家である孫 楚が間違って、「枕石漱流」というべきことを「漱石枕流」と言い、間違えを認めず屁理屈を並べて言い逃れたことから、この「漱石枕流」がそのまま故事として伝えられることになったようである。

ご存知、夏目漱石は、この故事を引用し、雅号とした。漱石自身も、名前につけるくらいこの故事が気にいっていたことになる。つまり、自身も頑固で屁理屈が好きだ、ということになる。

昨夜は煎茶の淹れ方としては基本中の基本である、水から茶葉を煮る「煮茶法 」、湯から茶葉をにる「烹茶法」そしてその中間の「中煮法」の三種を楽しんだ。

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一茶庵の四天王寺煎茶会。 [文化想造塾<易社/煎茶>]

文人茶一茶庵の第二回四天王寺煎茶会が昨日開催された。
会場は、四天王寺の本坊内にある茶室、和松庵と臨池亭の二箇所。和松庵では、"小西亭席"と称し玉露を愉しみ、臨池亭では、而懶社席として雁が音を淹れお客様をもてなした。

そして、午前と午後の間に、本坊では一茶庵佃一輝宗匠と、明尾圭造氏(大阪商業大学)並びに橋爪節也氏(大阪大学)が"上方を愛した文人"等についてトークショーが行われた。

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ドタバタ劇が、楽しい! [文化想造塾<易社/煎茶>]

19日の日曜日は、私が通う煎茶流派「一茶庵」の内輪の茶会が大阪 四天王寺さんで行われる。

煎茶席の二席と、宗匠とその仲間の方々との煎茶談義席、つごう三席をお客様が巡回される。


その一つの席が、われら易社社中が担当する。易社のメンバーの中でも今回はオッサン3名が亭主とお点前するわけである。いつもながら宗匠の無謀な人選に苦笑する。


その稽古が昨夜あった。この易社は、おっさんのドタバタ悲喜劇で笑いをとる大阪らしさが売りである。

ご亭主が、大阪北浜 小西邸(コニシボンド)の大旦那。お点前のお道具一式は、大旦那が好きで収集したコレクションで、千年以上前の涼炉から中国南方地域の交趾焼の湯呑など様々なお道具が並んだ。

一見するとバラバラ感があるが、それがまたユニークで面白い。ご亭主はお軸からお道具までをお客様に解説する。その間に、私ともう一人が午前と午後に分かれお点前をする。


失敗あり、おとぼけあり、苦笑あり、大笑いありの茶会となるのは間違いないだろう。

それを良しとする一茶庵 佃宗匠のユニークさが伺える。

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名月と清風を楽しみ憂いを忘れる。 [文化想造塾<易社/煎茶>]

前2回の稽古では「赤壁賦」を学んだ。
前々回は、お軸にある「前赤壁賦」の一文 ”撃空明兮泝流光”を抜き出して想い巡らした。
前回は、前赤壁賦の一遍である前段を通して作者である蘇軾の心情を探った。
下段にある、その一遍が原文である。

壬戌之秋七月既望蘇子與客泛舟遊於赤壁之下淸風徐來水波不興擧酒屬客誦明月之詩歌窈窕之章少焉月出於東山之上徘徊於斗牛之閒白露横江水光接天縱一葦之所如凌萬頃之茫然浩浩乎如馮虚御風而不知其所止飄飄乎如遺世獨立羽化而登仙於是飲酒樂甚扣舷而歌之歌曰桂櫂兮蘭槳撃空明兮泝流光渺渺兮予懷望美人兮天

蘇軾の心情を要約してみると、
1082年秋、旧暦七月十六日の夜に、
客を伴い、赤壁の下で名月に乗じ舟遊びをする。
三國の英雄 曹操や周瑜の風流を偲び、蘇軾自身がはかない流人の身であることを嘆く。
この無限の赤壁の前では、古人も我も何らかわらない、儚いものであり、万物同一であることを悟り、名月と江上(長江河畔)の清風を楽しみ憂いを忘れた。
ということである。

歴史に残る名文は名文として、蘇軾の想いを詠みとるのもいいものだが、お軸にある一文を取りだし、現代の事象を想い訳すのも楽しみ遊びである。

夜空に上がる花火が水面(みずも)に映る。それを舟から眺めるのも風流である。

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